「清潔感のある男性」と書かれているのを、雑誌で、何度も見てきた。

その三文字は、説明しているようで、何も説明していなかった。 具体的に何をすればいいのか、いつも、わからなかった。


20 代の頃の僕は、清潔感を出すために、いくつか試した。

香水を変えてみた。 シャツのブランドを変えてみた。 髪型を、流行りに合わせてみた。 眉を整えてもらった。

ひとつひとつは、悪くなかった。 ただ、どれも、僕の自意識からは、少し、ずれていた。

「派手にならず、整いたい」というのが、本当の願いだったのに、 試したものは、どれも、僕を、少しだけ「派手な方向」に押し出していた。


派手な人になりたかったわけでは、ない。

ただ、普通の場所で、普通に立っていられる、その「普通の清潔感」が、欲しかった。

そのことを、当時の僕は、うまく言葉にできなかった。 だから、雑誌の「清潔感のある男性」という三文字の前で、何度も、止まっていた。


「派手にならなくていい、ただ清潔感が欲しい」

このフレーズを、自分の中で、ようやく口にできたのは、30 歳を過ぎてからだった。

そこから、僕の整え方は、少しずつ、変わった。

香水をやめた。 シャツの色を、無地の白・グレー・ネイビーに絞った。 髪型を、流行りではなく、自分の顔のかたちに合う一本に、決めた。 眉は、整えてもらうのを続けたが、目立つかたちではなく、もとの輪郭の少し下を、なぞる形に変えた。

派手な動作は、ひとつも、しなくなった。 ただ、「整っている」と他人に感じてもらえる時間が、確実に、増えた。


ここで書きたいのは、白シャツとネイビーの組み合わせが正解、という話ではない。

書きたいのは、「派手にならなくていい、ただ整いたい」という男性の願いには、 それに合わせた、別の語彙が必要だ、という、ただそれだけのことだ。

「モテる」「変わる」「キマる」── 雑誌の語彙では、その願いには、届かない。


「普通」というのは、達成のしにくい状態だ。

派手でもなく、地味でもなく、清潔でもあるが目立ってはいない。 そういう中庸の状態は、簡単に見えて、毎日の所作の積み上げでしか、作れない。


派手にならなくていい、ただ清潔感が欲しい。

その願いを持つことに、引け目を感じる必要は、ない。 それは、自分の生活の解像度を、少しずつ上げていく、もっとも誠実な動機のひとつだ。


「普通でいい」を選んだ自分のために、整える時間を作る。

今日、その時間を 5 分だけでも持てたら、それは、もう、回復の入り口だ。