ワキガの手術を受けて、しばらく経ったある朝、洗面所で気がついた。
匂いは、医者の言うとおり、ほぼ消えていた。 ただ、人に近づくとき、身体がほんの少しこわばる感覚は、まだ残っていた。
治った、という言葉は、その感覚を引き取ってくれなかった。
「治す」というのは、医学の言葉だ。
原因があり、介入があり、結果が出る。診断書には「治癒」と書かれる。ニキビは治った。多汗症の手術は成功した。脂漏性皮膚炎の薬は効いた。 そこまでは、医学が引き受けてくれる。
それは尊い言葉だし、必要な言葉だ。否定する気は、まったくない。
ただ、診断書の外側で、続いていることがある。
治った、のあとに残るものは、人によって違う。
鏡を見るときの躊躇い。写真に写ることへの抵抗。他人との距離を測り続ける癖。シャツの色を選ぶときの慎重さ。
それは医学では「副作用」とは呼ばれないし、診療の対象でも、ない。 ただ、たしかにそこにある。
僕の場合、そういう輪郭を、「整える」と呼ぶことにした。
整える、という動詞は、終わりを求めていない。
机を整える、と言う。気持ちを整える、と言う。 そこには、「完璧にする」という意味は含まれていない。 日々、その時の自分に合わせて、ちょうどよい状態に戻す。
身体への向き合い方も、それと同じだと思っている。 治して終わりではなく、整え続ける。そのほうが、自分の感覚に近い。
ただ、誤解されないように書いておきたい。
「治す」を否定しているのではない。 むしろ、必要な人には、医療を全力で活用してほしい。僕自身、手術や処方で救われた部分が大きい。
ただ、治した、で話が終わると、その先で迷う人が出る。 僕は、その先について書きたい。治した、整えている、また何か起きるかもしれない、それでもよい。 そのくらいの言葉のほうが、長く一緒にいられる気がする。
今朝、鏡の前で、シャツの襟を直した。
それを「治療の続き」とは思っていない。 ただ、今日の自分に合わせて、少しだけ整える。
このメディアの動詞は「整える」です。 英語では、Male Conditioning と書きます。
完了形で語らないための、最初の小さな約束です。