電車のホームで、ふと、隣の男の人の顔を見てしまう。
肌の質感、目の下、頬の張り。 自分の状態と、見比べてしまう。 目をそらすまで、3 秒。 ホームに着くまでに、僕は何人かと、見比べる。
これは、僕の長年の癖だ。 やめたいと思いながら、何年もやめられないでいる癖だ。
中学の頃から、ずっとそうだった。
教室で、隣の男子の鼻の脇を見ていた。 体育館で、他のクラスの男子の頬の凹凸を観察していた。 電車で、他人の生え際を確認していた。
そのときの僕は、観察ではなく、確認をしていた。
「自分は彼より、まだマシ」か、 「自分は彼より、よくない」か。
その判定を、毎日、何十回も、している。
20 代後半に、SNS が当たり前になった。
そこには、整った顔の男性が、無限に流れていた。 俳優、モデル、芸人、知らない人の自撮り、 全員、撮影と編集と照明が整った状態の顔だった。
僕は、それらと、自分を、比べていた。
寝る前、布団の中で、最後に SNS を開いて、 他人の顔のスクロールで、自分の評価を一段下げてから、目を閉じる。 そういう夜が、何年もあった。
身体の問題は、医療で落ち着いた。
それでも、比べる癖は、残った。 むしろ、身体が整った分、比べる対象の解像度が上がった。
中学時代は「マシかどうか」だったのが、 30 代の入口では「あの俳優の鼻の通り方」「あのスタイリストの清潔感」になった。 比較相手の格は上がり、僕の評価軸は、永遠に追いつかない場所に、伸びていった。
ある夜、寝る前に、僕は、ようやく決めた。
寝室にスマホを持ち込まない、と決めた。 SNS を開く時間を、午前と昼の隙間に固定した、と決めた。 電車で、他人の顔を確認する前に、目を閉じる、と決めた。
決めても、最初は、できなかった。 寝室の入口で、スマホを置く手が、何度か止まった。 電車で、隣の男の人の頬を、また見ていた。
それでも、月単位で見れば、頻度は、確かに、減っていった。
比べる癖が、完全に消えることは、たぶん、ない。
ただ、その癖を、自分の中で 「あ、いま比べている」と気づく時間 は、確かに、短くなった。 気づいたら、目を閉じるか、視線を変えるか、できるようになった。
それは、回復の一つの形だ、と思っている。
比べる癖は、僕の中に、まだ住んでいる。 ただ、家の中の、奥の部屋に移ってもらった。
リビングではなく、奥の部屋に。 そこから、ときどき、顔を出す。 出てきたら、「ああ、いるね」と、声をかける。 そのまま、リビングには、来てもらわない。
それで、いまは、なんとか、暮らしている。