書き手は 30代前半の法人営業。一日に何度も、初対面の相手と名刺を交わす仕事をしている。生え際のことを意識し始めてから、また少し離れた今のことを置いておく。


名刺を渡すとき、頭を下げる角度を、自分で調整していた時期があった。

深く下げると、相手の視線が自分のつむじに落ちる気がして。 だから、浅く、目線を切らさないように渡す。 そんな小さな工夫を、誰にも言わずに何ヶ月も続けていた。

商談の中身ではなく、会議室に入る前の鏡の前で、前髪の分け目を直す時間が、少しずつ長くなっていた。


「気のせいかもしれない」が、いちばん長かった。

抜け毛が増えた、という実感はあった。 けれど「疲れているだけ」「季節のせい」と、理由を探しては先延ばしにしていた。

動いたのは、取引先との集合写真を見たときだった。 自分だけ、照明の角度で生え際がはっきり写っていて。 その一枚を消したいと思った自分に、少し驚いた。


受診は、思っていたより事務的だった。

身構えていたぶん、拍子抜けするくらい淡々としていた。 進行のパターンを説明されて、選択肢を並べられて、「いつ始めるかはあなた次第」と言われた。

劇的に何かが戻ったわけではない。 ただ、半年を過ぎたあたりから、朝の鏡の前の時間が短くなっていることに、自分で気づいた。


変わらなかったことも、書いておく。

エレベーターの鏡で、つい分け目を確認する癖は、まだ残っている。 これは髪というより、長く続いた緊張の側に住んでいる癖だと思う。

ただ、名刺を渡す角度を、もう計算しなくなった。 相手の目を見て、普通に頭を下げられる。それだけのことが、思っていたより大きかった。


進行性のものだと知ってからは、「いつか」より「今の状態を一度確かめる」ほうを選べるようになった。 早い遅いを競う話ではなく、知っているかどうかで、選べる手の数が変わる、という感覚に近い。


※ 治療の適応・副反応・費用は人によって異なります。個別の判断は医療機関にご相談ください。 本記録は当事者の観察であり、医療行為・診断・受診勧奨を行うものではありません。