社員旅行の集合写真が、グループ LINE に回ってきた朝のことを、僕は覚えている。
写真には、僕の同期が 7 人、並んでいた。 全員、入社年が同じ。 全員、年齢も、ほぼ同じ。
その中で、僕だけが、なんとなく、一段、年上に見えた。
頬骨の下の影。 目の下のラインの深さ。 顎から首にかけての、ゆるんだ輪郭。
それらが、他の同期と比べて、少しずつ、深かった。
「気のせいかもしれない」 そう思って、僕は、写真を閉じた。
ただ、その日の夕方、もう一度、確認した。 夜、寝る前にも、確認した。
何度確認しても、同じだった。
僕は、当時 33 歳だった。
劇的に老け顔だったわけでも、誰かに「老けたね」と言われたわけでもない。 ただ、同じ場所に並んだときの解像度の差が、自分の中で、初めて、はっきり、見えた。
それは、ニキビ跡や、ヒゲや、汗とは、別の種類の自意識だった。
時間が経つことそのものへの、初めての違和感だった。
「老けたくない」という気持ちを、誰かに話したことは、ない。
男性が老けることへの不安を口に出すと、なんとなく、軽く扱われる気がした。
「歳とったんだから当たり前」「みんなそうだろ」
そういう声が、相手から返ってくる前に、自分の中で、その想像が先に浮かんだ。 だから、口に出さなかった。
代わりに、僕は、その朝から、少しずつ、生活の動作を変えた。
夜更かしを減らした。 スキンケアの順番を一定にした。 週に二回、軽い運動を入れた。 姿勢を、デスクで意識するようになった。
特別な治療は、していない。 特別な決意も、していない。
ただ、「同期との解像度の差を、少しでも縮めたい」という、静かな動機が、毎日の動作に、ひとつずつ、入っていった。
一年後、同じメンバーで撮った別の集合写真を、僕は確認した。
僕だけが老けて見える、という印象は、その写真にも、少しだけ、残っていた。 完全には、消えていなかった。
ただ、その印象を、僕は、前ほど深く受け止めなくなっていた。
「老けたくない」は、僕の中に、いまも、ある。
ただ、それを、毎日のルーティンとして、静かに、整えるかたちに、置き直した。
年齢を重ねることは、止められない。 ただ、その時間の流れ方を、自分の所作で、少しだけ、柔らかくすることはできる。
派手な処置を選ぶ前に、毎日の小さな動作を整える時間が、たぶん、ある。
その時間に、価値はある、と、僕は、いまでも、思っている。