商談の十分前、僕は決まって、会社の最寄りビルのトイレに入った。

それは、もちろん、トイレに行くためではなかった。 個室の中で、ハンドペーパーを四つ折りにして、手のひらの汗を拭くための時間だった。

二十代の半ばから、五年、それを続けた。


手汗、というのは、誰にでもある。 ただ、僕の手は、緊張するとびっしょりになった。 ペンを持っていた紙に、輪郭がにじむ。 名刺を渡す動作で、相手の名刺の角が湿る。 握手を求められると、ハンカチで拭ってから差し出した。

その動作のひとつひとつが、目に入る人と入らない人がいる、と知っていた。 ただ、目に入る人がいるかもしれない、という想像だけで、僕は、いつも、トイレに行っていた。


商談の場で「舐められたくない」という言葉を、口に出して使ったことはなかった。

ただ、相手の目の動きに、自分が「対等な人間」として見られているかを、毎回、測っていた。

汗で湿った手が、相手にどう映るか。 それが、対等の評価を、半段下げる材料になるかどうか。

その心配は、たぶん、ほとんどの場合、現実にはなっていなかった。 それでも、心配の重さは、五年、僕の中で、消えなかった。


ある日、皮膚科で、多汗症の外用薬を処方してもらった。

最初は、効くかどうか、わからなかった。 週に何回か塗る、という動作を、半年、続けた。

半年後、僕は、商談の十分前に、トイレに入らなくなっていた。

劇的な変化ではなかった。 手が完全に乾いた、わけでもなかった。 ただ、商談の前に、ハンドペーパーを四つ折りにする動作を、しなくて済むようになっただけだった。


その動作がなくなった、ということは、僕にとっては、想像以上に大きな差だった。

商談の十分前を、僕は、別のことに使えるようになった。

相手の会社の最新ニュースを読み返す、とか。 自分の提案の要点を、もう一度頭の中で並べる、とか。

そういう、本来そこに使うべき時間が、戻ってきた。


「営業で舐められたくない」という気持ちは、いまもある。

ただ、舐められないために、トイレで手のひらを拭くという動作で備える時代は、終わった。 代わりに、商談の中身そのものに、もう一段、神経を回せるようになった。

それが、僕にとっての、五年越しの整え方だった。


商談の前に、トイレでハンドペーパーを四つ折りにしている人がいたら、ひとつだけ伝えたい。

その動作の重さは、想像で他人に説明することは、たぶん、できない。 ただ、その重さを、自分の中で、ずっと抱えていなくていい。

選択肢は、思っているよりずっと近い場所に、置かれている。