手術を受けると決めた日のことを、書いておきたい。

決めるまで、僕は何度も保留にした。 カウンセリングを受けて、その日のうちに決めなかった。 別のクリニックでも話を聞いて、それでも決めなかった。 資料を持ち帰って、机の引き出しに入れて、何ヶ月か放置した。


理由は、怖かったから、というよりは、自分のなかで言葉が定まっていなかったからだ。

「治したい」と思う日があった。 「整えていけば、ここまで来なくてもよかったのではないか」と思う日もあった。 「治してしまうのは、自分のなにかを切り落とすことではないか」と、変な躊躇いもあった。

このメディアで「治す」と「整える」を分けて書いているのは、 たぶん、あの保留にしていた何ヶ月かの時間が、僕の中に残しているもののせいだ。


決めた日のことを、いまでも覚えている。

特別な日ではなかった。 夏のはじめ、まだ梅雨が明けていない、湿度の高い夜だった。 コンビニから帰る途中、横断歩道で信号待ちをしていて、 反対側の歩道に立っている自分の感覚が、ふと、いつもより重かった。

「ああ、もう、保留にし続けるほうが疲れる」 そう、はっきり言葉になった瞬間があった。 家に帰って、机の引き出しから資料を出して、翌朝、電話を入れた。


手術は、何の特別なドラマもなく、終わった。

麻酔が効いて、目が覚めて、痛みがあって、それが時間とともに引いた。 ガーゼを替え、姿勢を制限され、シャワーの方法を教わった。 診察室で「経過は良好です」と言われたとき、 僕は「経過は良好」という事務的な言葉に、不思議と救われた。

ドラマがなかった、ということが、いま思うと、いちばん良かった。


ただ、書いておきたいのは、手術は「終わり」ではなかったということだ。

匂いは、ほぼ消えた。 医学的には、僕は「治った」のだと思う。 ただ、人に近づくときに身体がこわばる感覚は、しばらく残った。 距離を測る癖も、すぐには消えなかった。

それを「副作用」とは呼ばない。 ただ、身体に染み込んだ習慣が、医療よりもゆっくり、ほどけていく時間が、 その後にあった。

その時間こそが、Male Conditioning と呼べる時間だった。


決めた日のことを、僕はときどき思い出す。

何かに勝った日ではなかった。 ただ、保留を、保留のままにしておくのが疲れた、というだけの日だった。 それで十分だった、と、いまは思う。