朝、髭を剃るのに使ってきた時間を、足し算したことがある。

中学のおわりから、毎朝、平均 5 分から 10 分。 ひとり暮らしを始めて、面接を受けるようになってからは、15 分かかる日もあった。 青ヒゲを目立たなくするために、二度剃り、三度剃りした朝もあった。

その時間を、僕は長く、当たり前のことだと思っていた。


カミソリで剃っていた時期。 電気シェーバーに変えた時期。 出張先のホテルで、シェーバーを忘れて、慌ててコンビニのカミソリを買った日。 旅行中、剃らずに過ごせる人を見て、少しだけ羨ましく思った夏。

それらの記憶は、ほとんどが、ただの「朝の手の動き」だった。


社会人になってから、髭剃りは、もう少し重い時間になった。

剃り残しが気になって、家を出てから職場のトイレでもう一度剃った日。 午後に伸びてくる髭を意識して、午後の会議の前に剃った日。 人と会う前に、コンビニのガラスで剃り残しを確認した日。

剃る時間そのものよりも、「剃り残しがないか」を確認する時間のほうが、長くなっていた。


医療脱毛を始めようかと考えはじめたのは、その頃だった。

ただ、すぐには決められなかった。 理由は、永久脱毛が「戻らない」選択だったからだ。 20 年後の自分が、髭を伸ばしてみたい、と思ったときに、戻せない。 その不可逆性に、僕は何度か引っかかった。

それでも、結局、受けた。


受けてみて、変わったことは、たぶん時間ではない。

朝の 10 分は、別のことに使えるようになった。 ただ、その 10 分の代わりに、何か劇的に新しいことを始めたわけではない。 コーヒーを飲むのが少しゆっくりになっただけ、というのが正直なところだ。

変わったのは、時間そのものより、「剃り残しを気にする時間」のほうだった。 午後の会議の前にトイレに行かなくなった。 人と話すときに、口の周りを意識しなくなった。 それは、思ったよりも、大きな変化だった。


ただ、「全部やってよかった」とは、いまも、簡単には言えない。

整える、と決めた日のことも覚えている。 それと同時に、「整えなくてもよかった日」があったことも覚えている。 両方を、持っているのが、たぶん、僕にとっての正直なところだ。

整える自由と、整えないでいる自由。 両方を、いま、持っていられる場所にいる、というだけのことです。

Male Conditioning は、片方を選ぶことではない。 両方を、選べる場所にいられるようにする、実践のことだと、僕は思っています。